日々の考察しるし

かたっくるしく、尚且つ無編集のブログが売りです。

学校

私が卒業するころには、私の大学はどうやら合併してしまうらしい。このことについて当学生の多くが、どちらの名前を取るやら学部はどうするやら揉めている。

 

しかし、私には今のところどうでもいい。それは別に卒業するまでは大丈夫だからとか、そういう理由ではない。学校に今のところ誇りを持てていない、それが理由だ。

ある本で私は、学校の卒業生というのはその学校を基本的に褒めると書いていた。だが、どうも私にはそれがピンと来ない。どれだけ有名校を出たところで、その学校に何か自分の居た証、蹄を残せない限り、そこに自分が居たということにはならない。逆にどれだけ抵当な学校を出ても、自分がその学校に何か貢献できたと胸が張れるのであれば、それは社会的に誇れることだと思う。独りよがりでも良い。そんな独りよがりもできない人間が一貯前に、私は○○大学を出ました、と大きく出るべきではない。

 

学校とは自分である。若き人生、されど価値観が固まるまでのほとんどの期間を学校で過ごすのだから、この言葉は過言ではない。

その学校に何か残せただろうか。それを考えるうえでやたらと学校にいた当時の自分を卑下する必要はない。

自分を少しでも成長させられたのなら、それは大きな学校への貢献なのだ。だが何をどう成長したのかは、考えなければならない。でなければ、その人の成長は、いつまでたっても成長にはなれないのだ。