日々の考察しるし

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真実とは常に二つある

すなはち内的真実と外的真実である。前者は、その出来事の原因結果を起こした当事者が知っている場合である。一方で後者は、その出来事の原因ないし結果を断片的に知っているか、その一方しか知らない場合である。

例えば、おねしょをした少年が母親にそのことをバレたくないために、その布団を洗って干したとしよう。すると母親はなぜ干しているのかを少年に問うと、少年は寝汗で汚れたと言った。この場合、内的真実を知るのは少年だけであり、母親は外的真実しか知り得ない。

数学において、公式のみを理解しているのは外的真実を知っているに過ぎない。歴史学において、彼らの研究は外的真実を限りなく内的真実に近づける作業である。自然学は神のつくった内的真実(奇跡)を解明しようとする試みであった。

いったい自分がどちらを理解しているのか、それが分からない段階でその真実の価値を考えたり試したりすることはそれだけアホらしい。