日々の考察しるし

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オタクで苦しむあなたに

今回はオタクと言われて学校生活で不自由な思いをしている方へ向けての記事となる。

もちろん、不自由か否かは主観的な判断なので、端から気にならないという方は素のまま生きてほしい。

 

今回の要点を先に述べると、「オタクであることを誇れ、恥じる必要はない」だ。

 

学校生活で最も悩むものはなんだろうか。それは、理想の自分と現実の自分とのギャップである。そしてその理想とは大抵が「人気者」になりたいことではないだろうか。誰しもが、もし人気者になれるのであれば人気者になりたいと思う。その人気者(ここではAさんとする)の条件とは、万人受けが良いことだ。

具体的には、Aと友達であることが他人にバレても恥ずかしくないこと、すなわちA自身に性格問わず異端要素がないことである。つまり、Aがどれだけ他人に優しかろうと、やたらとアニメ好きだったり、オカルトマニアだったりすると、Aが友達であることに抵抗を感じられるのだ。故にその場合Aは人気者になれない。

だから、オタク(部類に拠るが)は基本的に人気者になれない。そこで人気者になりたいオタクはオタクであることを隠そうとする。アニメがとても好きなこと、ゲームがとても好きなことなどを他人に隠して接する。そうなると、その子は非常に不自由な思いをすることになる。なぜなら話したいことを話さないで、自分を根本から偽って、偽った自分を友達として他人に受け入れてもらっているからだ。ゆくゆくは、そうまでして手に入れた友達といることを、自分自身で面白いのかつまらないのか分からなくなってしまう。もはや、自分の周りに誰かいないと不安になってしまう。

 

友達は本当に作るべきだろうか。親や社会はYESと答えるだろう。

しかし、私からの応えはNOだ。友達というのは勝手に、ごく普通に、すなわち自分をさらけ出していても、なぜかいつの間にか話している相手の事を言う。だから友達をそもそも作るという表現自体間違っている。そして、自分をオタクであることを隠しても、熱中できる趣味を語り合えない話し相手といても、つらいだけだ。ところでそれを親の目線からすると、子供の内から他人と合わせられた方が良いというかもしれない。しかし、子供のころから他人と合わせて(自分を歪める)、何が自分だろうか。子供のころに自分を知って(他人にさらけ出す)失敗して、うまい具合に公では自分を丸くできるようにするのが、あるべき形だ。そして失敗しても、親がその失敗を無駄とダメ出ししない限り、子供は挫折しない。

 

だから、子供であるあなたは、オタクであることを誇ることだ。もちろん、誇りが過ぎて、他人への押しつけとなってはならない。相手を傷つける趣味(喧嘩、薬物)でない限りという条件つきではある。