日々の考察しるし

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生命の誕生

実に二年前のことだが、私にとって最大の考え事の一つとして浮上したのが、生命とはどこから生まれたのかという問いである。今回はこのことについて、ひとつ仮説が立てられたので記録しておきたい。

 

はじめに、ユーリー、ミラーの実験(1953年)によって、元々地球が誕生した当時の物質(水、メタン、アンモニア、水素)で、数種のアミノ酸、核酸の成分であるプリンやピリミジン、ATPの要素であるアデニンの生成が可能であることを確認しておきたい。正直なところ、原因結果の段階しか理解できておらず、細かい仕組みなどを分からない。しかし、この実験結果によって、原始的な地球上でも、単純な生物の構成要素は作り出せることがわかった。

 

次に、私が挙げる仮説を端的にまとめたい。それは、生命という概念そのものが誤りであり、存在しえないということだ。今からそうと思われる筋道を述べていこう。人類とは複雑な構造を持つ物質であり、炭素などは比較的単純な構造を持つ物質である。そして生命は生命たる条件の一つとして、繁殖することで増えることを望む。その歴史をたどると、単純な生物から複雑な生物へと数多く分岐している。この複雑な、という部分が、この先に登場する物質らの岐路にも当てはまる。①星は最終的には超新星爆発(膨らむ)を引き起こし、分裂してまた新たな星をいくつも生み出す。そしてその星は悠久の時を経ていずれ大きくなる。これらの星々も多種多様な要素を持つものへと変化している。②宇宙誕生時に存在した原子に比べて、現在ある原子の種類は明らかに増えている。つまり、複雑な原子が増えており、また一方で複雑な結合が可能となっている。

 

このことから立てられる推測がある。生命とは、原子らの持っている「さらに複雑化する」という性質が引き起こした原子の集合体なのではないか、ということである。我々人類は少なからずサルよりも物事を考えるようになっている。そして当然サルはバクテリアよりも物事を考えられるようになっている。物事を考えられるようになるというのは、複雑化した証なのだ。体内の器官を見ても、閉鎖血管を持つ哺乳類は、明らかに開放血管を持っている魚類よりも複雑化している。好気細菌を取り込み、シアノバクテリアを取り込んだミドリムシは明らかに従来(それらを取り込んでいない)のそれより複雑化している。いわば生命が繁殖したい欲望を持つのは、その過程で得られる複雑化への「きっかけ」を歩むためなのではなかろうか。そしてその複雑化への期待は、各々の原子も持ち合わせているということだ。

 

しかし、数年後かにはまたこの仮説は変わっているかもしれない。ちなみに以前までは、ただ一度だけの神のこの世界への干渉を前提としていた。