日々の考察しるし

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ゴミのポイ捨て考察

今回はゴミのポイ捨てをする人の心境や、その行為のメカニズムを考察していきたい。といっても、実際に当事者に聞き取りをしたわけでもないし、ポイ捨てをしたことのある人を直に見たのは二回だけなので、単なる空論程度にしか考察できない。

 

①ゴミのポイ捨てをする人の心境、メカニズム

まずは一般論から話を進めたい。ゴミを不法投棄するのは、その場所があらかじめそうされることが安易に想定されるような要素を持っていることが多い。簡単にいえば、ある時ゴミが不法投棄されるその場所に、既にゴミの先客が滞留しているということだ。この理由は、概ね集団心理によるものである。なぜそう言えるのか、もとより一定の教育を受けた人間であれば、不道徳な行為をすることはその人の良心により背くことが困難であるからだ。そのため、ゴミのポイ捨てをする先駆者というのは容易に登場しがたいものだ。しかし、ひとたびその先駆者が登場すれば、多くの人々が先駆者にならずして、ゴミのポイ捨てができる。こういったメカニズムを経て、ゴミのポイ捨ては恒常化されていくのである。

 

②先駆者の心境

では先駆者はどのようにして登場しうるのか。大半は「なんとなく」だろう。そんなものに大それた目的があるようには考え付かない。では、彼らはゴミのポイ捨てをしない人と比べて異質なものだろうか。それは違うだろう。これはその単独の行為そのものを見ていてはピンと来ないかもしれないが、抽象的に言い変えればわかりやすい。すなはちゴミのポイ捨てとは、不道徳な行為である。不道徳な行為と規定すれば、それは嘘をつくことと何ら変わらない。もちろん程度によりけりではある。しかし、「なんとなく」したポイ捨ては不道徳といっても、ゴミを単に道に捨てる程度のものであり、それ以上の目的は存在しない。捨てられたゴミの付近に住む人ないし歩行者に迷惑を掛ける程度のものだ。一方で嘘を他人につく行為は、これも程度によりけりだが、嘘は嘘でも、その場逃れでついた嘘はそれを信じた者に迷惑を掛ける程度のものである。つまり、「なんとなく」するポイ捨てと、「その場逃れ」でついた嘘は他人に自発的に迷惑を掛けようとしたものではないという点で似通っているのだ。ここまでが考察。

 

③昨日の体験

実に昨日の昼の話だが、一年ぶりにたばこの吸い殻拾いをした。といっても、範囲にしてグラウンド周りのみで、時間にして30分である。結果は煙草42本と、ペットボトル一本、空き缶一本であった。